8弾発売記念に。
完全に余談で発売記念らしくない内容ですが、GINGER BERRY様のブログにて公開されているSSとコミコミスタジオ特典SSに出てくる、バンドリーダー柿谷くんのお話です。



Resonator



 軽音部に与えられた部室は、決して広くなかった。
 バンドごとに日替わりで練習に使うのが基本で、それ以上練習したければ、レンタルスタジオを利用するしかない。安い金額ではないので、部室を使えない時は、柿谷と江純は放課後の教室に残って、二人で練習を重ねる事が多かった。
 冬休みを間近に控えたその日も――柿谷はアンプ無しでギターを爪弾き、江純の書いた歌詞と曲を合わせていた。メンバー全員で曲作りをすると意見があわず、雑談がはじまり、時間ばかりかかってしまうので、二人で大まかな形を作ってから寺嶋と芦屋の意見を取り入れて調整するのが、いつからか決まった流れになっている。
 部長であり、バンドリーダーでもある柿谷省吾は、文化祭以降、江純の表情が冴えない事が気になっていたが、本人が何か言うまでは黙って見守るのが彼のスタンスだった。だから、少し休憩しようということになって、江純が俯き加減に、
「あのね……」
 と口を開いた時、柿谷は内心「何かはわからないけれど、やっと口に出来るくらいには気持ちが落ち着いてきたのかな」と安堵したのだ。
 けれど――江純が言葉を詰まらせながら、ぽつりぽつりと話す内容を聞くにつれ、柿谷はどんな顔をすればいいのかわからなくなっていった。
「おかしいよね……男、なのに……」
 怯えたように声を震わせ、「どうしよう」と聞かれて、柿谷は答えることができなかった。
「えー……っと……」
 信頼して打ち明けてくれた事を嬉しく思う反面、時々無防備すぎるのが江純の心配なところだ、と柿谷は思う。
 それは江純が大切に守られ、尊重されることが当然の、裕福な環境で育てられてきた証だった。元は幼稚園から大学までの一貫校に通っていた江純は、他の環境を知りたいという本人の希望で、木乃実学園に入学を決めたらしい。今でこそクラスメートに馴染むようになってきたが、入学当初はおっとりとした品の良い言動が浮いていた。そしてそれが異端と見なされて爪弾きにされなかったのも、ひとえに江純から滲み出る品位と素朴さが絶妙に絡み合った結果だった。
 一方、柿谷省吾は、父は中小企業のサラリーマン、母は家計を支える為にパート、少し年の離れた妹と弟が一人ずつ――という、ごく一般的な家庭で育った。生来長男気質で面倒見の良い柿谷が、クラスで浮いていた江純に声をかけたのは必然のことだった。
「歌うのが好きなら、俺と一緒に軽音部入らない?」
 話のきっかけ作りが目的で、だからその時は、まさか本当に一緒にバンド活動をすることになるとは思ってもいなかった。
 昼間は教室で、放課後は部活動で――毎日時間を共にするうち、柿谷は、勝手な憶測で世話を焼こうとした自分を恥じるようになった。江純は、育ちの良さを抜きにしても、素直で頑張り屋で好奇心旺盛で、知らない事を恐れない、華奢な見た目に反して案外逞しい性格の人間だった。と同時に、子供らしい愛嬌もたっぷりと残していて、皆が雨で嫌そうな顔をしている中でも、高級そうな靴で水たまりに突っ込んで楽しそうに笑うに違いなかったし、そうやって何もかも受け入れる穏やかさは、どんなに酷い目に遭っても、大切なものは絶対に失わないのだろうなと、頼もしい気持ちにさえさせてくれる。
 だから――その江純が、同性に心を揺さぶられて憔悴しているという現実を、柿谷はすんなりと受け入れられなかった。
 柿谷が考え込んでしまったせいで、気まずい沈黙が続いていた。江純は俯き、紙パックのミルクティを両手で大切そうに握りしめたまま、罪人のように怯えて、柿谷の言葉を待っている。
「そういや、第一声も凄かったもんな、大好きです、って」
 柿谷は適切な答えが見つからないまま、江純の想う人物――八雲譲に出会った時の事を口にした。
「あれは……他に言葉が、出てこなかっただけで」
「まあでも、虐められてんじゃなくて良かったよ」
 柿谷が机にギターを置いて微笑みかけると、江純は怪訝な顔をする。
「いじめ?」
「瑞祈、最近練習ない時さ、すごい深刻な顔で音楽室直行してただろ。何かあったのかなって、気になってたから。芦屋なんて『先輩に脅されてるんじゃないですか?』とか言い出すし」
「そんな……。ごめん、心配かけてたんだね。僕が勝手に押しかけてるんだよ。もう行くのやめなきゃって思ってるのに……嫌われてるってわかってるのに、会いたくて、我慢できなくて」
「そのさ、会いたいっていうのは……あー、なんて聞けばいいかな」
 柿谷は自分の唇を舐めた。それからゆっくり、慎重に言葉を選んでいく。
「会いたいってのは、ピアノだけが好きなわけじゃない、ってことなんだよな? ピアノがなくても、先輩に、その――触りたいとか――やりたいとか、そういう……」
 江純が小さく首を傾げて、柿谷を見つめる。
「やる?」
 江純の瞳と、聞き返した声が、怯えたように揺れている。
「えーっと……男女と一緒で、あー、……入れんじゃないの? いや入れられるのか? そこはよくわからんけど」
「え――、……え? ……まさか、男同士で――そんな……」
 軽く掠れた声はステージで歌っている時のものに似ていたが、今は魅了するような熱気はなく、緊張で乾燥している。江純の顔がじわじわと赤くなりはじめたのを見て、柿谷は自分の失敗に気付いた。元々江純は、恋愛話に滅法疎いのだ。
「あー……いや、ごめん。どうしようって言うから、そのへんも含めてなのかと」
 やばいな、何か、いけないこと教えちゃった感が――柿谷がそう呟くと、
「……いけない、こと」
 と、まるで咎を責められたかのように、江純は体を縮ませた。瞳が、涙で潤みはじめている。柿谷は慌ててフォローしようとしたが、どうにも上手い言葉が出てこない。
「いや。いけないっていうか、別に……今知る必要はないっていうか」
「そういうの、よく――わかってなかったけど……僕……」
 俯いた江純はミルクティを机に置き、細い指先で目尻を拭った。
「男同士で何が起こり得るのか」を知らなかっただけで、漠然とした欲求は抱えていたのかもしれない――そう察して、柿谷の中で安堵と心配が交互に点滅する。
「……どうしよう……。そのうち、治ると思ったのに。……僕……今朝も、へん、で……」
 江純の目尻から涙が落ちた時、柿谷は不思議と、すとんと気持ちが落ち着く感じがした。と同時に、どんな人間にも弱い部分はあるはずなのに、「生まれ育ちが違うから、瑞祈は常に笑顔でいられるのだ」と、いつからかそんな乱暴な思い込みをしていたらしい自分に気付いて、後ろめたい気持ちを覚える。
「……瑞祈、おいで」
 柿谷は向かい合わせに座っていた椅子を江純の隣に移動させ、抱き寄せた。江純はされるがまま、柿谷の胸で静かに泣きはじめる。大切にされることしか知らない彼は本当に素直で、誰に対しても甘える事に抵抗がないのだと柿谷は知っていた。でも今は、「俺だからここまで無防備にしてくれているに違いない」と思いたかった。
「……な、瑞祈。今さ、どきどきしてる?」
「……? なに……?」 
 そっと体を離して、江純が濡れた顔で柿谷を見つめる。純粋すぎるが故の危うさを愛しく思って、柿谷は微笑みかけた。
「こうやってさ、お前のこと抱き寄せてるのが先輩だったら、どう?」
 言って、柿谷はもう一度江純を抱きしめ、泣いている妹や弟をあやすように、背中を優しく撫でてやった。
「っ……」
 その問いかけとささやかな愛撫だけで、江純の体は硬直し、沈黙が続いた。それで柿谷は理解した。感じ入るような吐息が首筋にあたって、柿谷はそのくすぐったさにまた微笑む。
「瑞祈。それは全然変じゃないよ。後ろめたく思うことなんてない。誰だってそうなる。俺だってそう、皆そう」
「でも……でも、だって、こんなの、」
「ってか、良かったよ。ちゃんと思春期きてたんだなーって、なんか安心した」
「どういう意味……」
 柿谷は、敏感になっている体を刺激しないようにそうっと離れて、乱れた前髪を直してやる。
「いやー。だってさ、男だけでシモネタとか女子の話してる時、お前いつも輪の外でぽかーんと聞いてるだけだっただろ。何も質問してこないから、一応知識としては知ってるんだろうなーとは思ってたけど……「好きな子いる?」って聞かれて、幼稚園の頃の話出てきた時は、皆笑うに笑えなくてガチで固まってたし」
「う……ん……?」
「そのへん、ちょっと心配だったっていうか……よしよし……」
「……っ」
 襟首をくしゃくしゃと撫でてやると、江純がびくっと体を竦ませた。もしかしたら、まだ「先輩だったら」という言葉が抜けないのかもしれない。照れくささを誤魔化すように、江純は柿谷に質問を投げかける。
「……ね。もし省吾だったら……どうする? 同性が、気になったら」
「えー、俺かぁ。俺は……そうだなぁ」
 柿谷が江純を見つめて考えると、江純は困らせたとでも思ったのか、反省するように顔を俯ける。
「ごめん、変なこと言っちゃった……僕の事だし、省吾に聞いても」
「いや、んー、もし俺が瑞祈の事好きだったらどーすっかなーって想像してた」
「ええ? 僕?」
「うん、でも……相手が男でも女でも、告白するかしないかって、関係によるよな。俺一応部長だし、部員もバンドも大事だし。卒業して、バンド解散するまで言わないかもな。……振られて気まずくなるより、一緒に楽しい時間、過ごしたいしさ」
 柿谷らしい真摯な答えが嬉しくて、江純の顔に、自然と笑顔がこぼれた。
「僕、省吾に好きって言われたら嬉しいし、気まずくはならないと思うけど……」
 柿谷は江純を見つめたまま、僅かに目を見開いた。
 レストランで選んだ食事を確認するような気軽さで「ほんとに?」と聞くと、江純は「嘘なんてついてもしょうがないよ」と笑って返す。
「んじゃ……瑞祈、好き」
「……ええ?」
 柿谷が真っ直ぐ見つめ続けると、江純は真意を伺うように目を瞬いた。その珍しい表情に柿谷が苦笑すると、江純ははっと気付いて、柿谷を軽く睨みつける。
「もう、省吾! からかわないでよ……!」
「はは。いくらホントの事でもさ、恋愛感情ないのにそういう事言うのは……告った奴がすげー傷つくから、やめとけよな」
「う、うん……?」
 柿谷が濡れた目尻を拭ってやろうとすると、江純は逃げるように顔を横に振った。
「もう、先に変なこと言ったのは、省吾だよ」
「うん――良かった、泣き止んだ」
「あ……」
 友人の優しさに、江純の涙腺が、再び緩みかける。
 柿谷は、気持ちを支えるように江純の両手を握って、小さな爪を撫でてやった。
「まあ、今のは俺の話で。けじめつけたかったら、告白するのだってありだと思うし。瑞祈の言う通り、やっぱそこは自分で決めないとだな」
「……うん」
「俺はこうやって話聞くくらいしかできないけど、なんかあったら、いつでも胸あけて待ってるから」
「……省吾、いつもありがとう」
 言葉では伝え足りないとでも言うように、江純が柿谷の手をきつく握り返してくる。
「礼言いたいのは俺もだし。いつも瑞祈の歌に助けられてるよ。今回の曲作り、スムーズにいってんのも瑞祈のおかげ」
「ほ、ほんとに?」
「うん。歌詞もさ、今までのふわふわしたのと違ってやけにリアルだなーって思ったけど、やっぱ……」
 柿谷の言葉の途中でドアが開き、二人きりだった教室に、寺嶋三樹の無粋な言葉が響き渡った。
「お、いたいた――うっわ、ホモだ」
 寺嶋の斜め後ろでは、芦屋祐希が柿谷と江純を見て、驚いた顔で立ち尽くしている。
「あれ。二人揃ってどうしたんだよ。まだ曲まとまってないから、今日は練習ないって……やべ、俺連絡入れてなかったっけ?」
「いや、来てたけど。暇だから様子見に来たんだよ。つか向かい合って両手繋いで、な~にやってんだお前ら」
「……何、って……」
 誤魔化したり、上手く取り繕う事が苦手な江純が、あからさまに動揺した。
 柿谷が「素直に言う必要なんてないよ」と言うように微笑みかけ、ぱっと両手を離すと、江純は淋しげに自分の両手をぎゅっと握りしめる。もしかしたら、「これが先輩だったら」という言葉は、柿谷の思った以上に江純の心に深く刺さっていたのかもしれない。
「瑞祈ちゃん、気をつけろよ~」
「……何? 気をつける?」
 江純が、歩み寄ってきた寺嶋を見上げる。柔らかい髪の毛がふわりと揺れた。
「ほら、なー? なんもわかってねぇもんなー、ちゅーくらい簡単にできるだろ。部長が部員に手ぇ出しちゃだめですよー」
 そう言いながら寺嶋は江純の頭を抱き寄せて、頭を撫で回す。
「わ……ちょっと、三樹……っ」
 江純は首を振って逃げようとしたが、上手くいかなかった。ペットのような扱いだが、江純が嫌がっているのは細い髪の毛が絡まってしまうことで、決してスキンシップを拒んでいるわけではない。江純とクラスメートとの距離感もこれと同じで、女子からは、お気に入りのぬいぐるみのように扱われることもしばしばだった。
「人聞き悪いな――離してやれよ。髪が酷いことになってる」
 柿谷が眉を顰めると、寺嶋がおどけてみせた。
「おっ、彼氏面」
「あのなぁ……」
 柿谷は、江純の心情を思うと、今は冗談でも「彼氏」などという言葉は口にしてほしくなかった。話を変えようとした時、芦屋が控えめに挙手をした。
「でも部長と江純先輩、ライブの時いつもいちゃいちゃしてるじゃないですか。この間も顔が近くて、とうとうキスしたのかと思って、スティック客席にふっ飛ばしそうになりましたよ」
「してないっつうの。あれはサービスっていうか、営業的な……」
「僕と省吾が仲良くしてると、女の子たち、喜んでくれるもんね」
 そう言った江純は逃げるのを諦めて、おとなしく寺嶋に撫で回されている。その表情に思い悩む影はなくて、柿谷はほっとした。
「そうそう。はじめは狙ったわけじゃなくて、気分がのってきて肩組んだのがきっかけだし」
「ま、部長はともかく、問題は瑞祈ちゃんだな。ぽーっとしてると、いつか玉の輿狙ってる女に食われるぞ」
「っていうか、べたべたしてるのは寺嶋先輩の方じゃないですか」
 芦屋が寺嶋に冷たい視線を送ると、寺嶋は「おーなんだ嫉妬か可愛いな」と、今度は頭一つ分背の低い芦屋を乱暴に抱き寄せる。
「うわ。嫉妬って――痛い痛い痛い、離して下さい~……!」
 柿谷は、雑談を仕切るようにギターを手に取った。
「メロディ大体決まったから、二人ともちょっと聞いて」
 寺嶋は芦屋をぱっと離して、「お、早くねぇ?いつもならもっと時間かかるのに」と目を輝かせる。
「瑞祈、」
 柿谷は優しく名前を呼び、江純に視線を送った。手ぐしで髪を整え、顔を上げた江純の瞳の中に、真っ直ぐ柿谷が映っている。
 見つめあった二人にしかわからない、意味深な間があった。
「大丈夫? ……歌えそう?」
 柿谷が江純にそんなことを聞いたのは初めてだった。充分に信頼しあっていたから、聞く必要がなかったのだ。つまりこれは、さっきの話の続きだった。
 江純は一瞬、泣きそうに顔を歪ませた。それから決意するように瞼を閉じ、濡れた瞳で、再度柿谷を見つめ返す。
「うん――大丈夫」
 それは「歌えるよ」という意味でしかない。でもその言葉から柿谷は、江純の決意を予感した。
 一呼吸置いて、柿谷は弦の上で指を滑らせ、乾いた音を弾いた。江純が喉を鳴らし、柿谷の鳴らす音に耳を傾ける。旋律に感じ入るようにうっとりと瞼を閉じ、体を揺らしてリズムを取った。
 江純がすっと息を吸う、柿谷はその瞬間が好きだった。
 柿谷は江純の決意を、その結末を聞き出したいとは思わない。
 出会った時からそうだった。この特別な友人を見守って、待っているのが大好きだった。



2018.03.26

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